β次元日記

α次元にはいけない。せめてフィクションの話をしよう。

奥歯をぎゅっと噛みしめる

 

本当はガタカの話をしたかったのだが、それよりも話さずにはいられない事柄が出来てしまった。

ワイドナショーにおける、松本人志指原莉乃への発言だ。

 

指原莉乃松本さんが干されますように!!!」松本人志「体を使って」発言に反応

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190116-00000020-sph-ent

 

詳細を言うのも嫌なので、と言うかもう既にかなりの人は知っていると思うので説明は省く。

また、暴行事件についても詳しいことが分からないので「アイドルの努力が報われる環境であってほしいなあ」と言う他ない。

 

とにかく印象に残ったのは、松本の発言を受けた直後の指原の表情だ。

虚をつかれ、本当は激しく怒りたいのに、環境がそうさせず、味方もおらず、奥歯を噛み締めて曖昧な顔を作る。

あれを見た瞬間、ああ私はこの顔を知っている、と思った。そしてこうも思う。女の顔だ。

 

自分の怒りが、周りの誰にも共感されないかも知れない状態で怒りを表明するのは、とても勇気がいることだ。ましてや、その怒り自体が批判されうる状況では。

セクハラは巧妙に隠蔽される。親愛とか笑いとか、賞賛とか、そういう一見プラスの言い訳をまとってあらゆるところに現れる。

スキンシップだとか、女の子の方が華があるだとか、本人にとってはそんなおためごかしの範疇をとっくに超えているにも関わらず、セクハラが無い方が助かる人間たちが「考えすぎだ」と弱者の口を閉ざさせる。

女はそれを知っているから、自分を守るために、許したふりをしなければならなくて、曖昧な表情を取るのではないか。「痛いなら痛いと言え」という単純な構造ではないところが、セクハラや暴行に対する議論をややこしくさせている一因のようにも思う。

「セクハラはダメだと知っていること」と「セクハラ被害者の傷や怒りを増やさないこと」は、かなり別の話だろう。

 

 

それからツイッターでは「さっしーは松本を上手くあしらってあげる、いい女」というような意見も見たが、別に指原も上手くあしらいたくてやっている訳ではあるまい、と思う。

 

もし彼女があそこで声を荒げ顔を歪めて憤って見せていれば、きっと彼女には少なからず批判の声が届いただろう。スタッフだって、彼女に笑いを要求したはずだ。

「バラエティー慣れした、多少のセクハラには動じない、成熟した女性」という期待されたイメージをなぞって見せなければ、周りが瞬時に敵になるかも知れない。

そんな中、単なる笑いで済ませずに自分の憤りを示したということは、非常にすごいことだと思う。ヘラヘラ笑ってしまうことも出来たのだ。それが一番簡単で、一番屈辱的なやり方でも。

 

今回の事件を「いい女だね」「よかったね」だけで終わらせないでくれ、と本当に思う。なぜ傷ついた方が傷つけた方のフォローをしてやらなければならないのか。おしっこ引っ掛けて許されるのは赤ちゃんまでだ。

ここ数ヶ月、ずっと考えている。親しかった教授たちがセクハラを告発され、ほとんどお咎めなしでヘラヘラ大学に戻ってきてから。

ミソジニー的振る舞いを批判していた彼らがセクハラをした事実。本人たちは誤解だと言っているようだが、それならそれでなぜ過去の自分や学問に誠実でいてくれないのか。社会学の教授が、使用していた統計データを改ざんしていたと告発されたのに、誤解だと言ってデータを使い続けているようなものではないのか。

 

廊下ですれ違う度、喉が焼けるように熱くなるのに、被害者ではない私は、彼らに問いかける言葉も勇気も持たない。ただ、奥歯が割れるほど噛み締めて立っている。

 

 

私情が挟まってごちゃごちゃしてすいません。

このボタンを押すとハラスメント加害者の心に良心の呵責と想像力が訪れます(ように……