ほとほと(古事記の話)
ガタカの話をやっとし終えたので、何か一つ荷を降ろしたような気持ちになっている。
そうなると矢継ぎ早に更新してみたくなるものだ。
そこで、最近再読している古事記の面白かった箇所を覚書程度に書いておこうかと思う。日本文学専攻ではないので間違いがあったら申し訳ない。
と言っておいて、エンタメ的な意味で面白いかと言えば微妙なところだ。古事記の描写はさすが神代の話という感じで、残虐とあらば容赦がない。あるのは100の暴力で、例えば須佐之男(スサノヲ)が姉の天照大神(アマテラス)のいる高天原を訪ねて行った時のこと。
急にやって来た弟に対し「自分の国を獲りに来たのでは」と疑って武装する姉。スサノヲはそれに「そういう悪意を持って来た訳ではない。証明して見せよう」と言って、姉に賭けを持ちかける。二人でそれぞれ神を生み、その質によって自分に悪心がないということを証明しよう、という訳だ。
随分大掛かりなコイントスだが、この賭けにおいてスサノヲは女の神を生み「このようにたおやかな女を生んだ私に悪意があるわけがない。勝った!」と言う。その論理もなんだろうなあ、とは思うが、さらに強引なのはこの後で、勝ったのをいいことにスサノヲは姉の領地で暴虐の限りをし始める。
天照大御神の営田の畔を離ち、その溝を埋め、またその大嘗を聞こしめす殿に屎まり散らしき。(岩波文庫、p39)
姉の耕作している畑をぶっ壊し、新しい穀物を食べるために年1で使う神聖な食卓にクソを撒き散らす。悪意を疑われたことへの報復としてはやりすぎではないのか。
姉もまた「同じ行いがお前にも返ってくるんだからな」と言って止めるが、スサノヲは全く止まらない。
天照大御神、忌服屋に坐して、神御衣織らしめたまひし時、その服屋の頂を穿ち、天の斑馬を逆剥ぎに剥ぎて堕とし入るる時に、天の服織女見驚きて、梭に陰上を衝きて死にき。
アマテラスが清浄な機屋(機織り小屋)にいらして、神に献上する服を織っていた時に、スサノヲがその小屋の屋根を壊して、尾の方から皮を剥いだまだら模様の馬を落とし入れた。それを機織り小屋にいた女が見て驚き、機の横糸を通す道具(シャトル)で性器を怪我して死んだ。
勝ったからって何してもいいと言う訳ではないだろ、といった感じ。なぜ馬を剥ぐのか。なぜ落とすのか。なぜ道具で性器を怪我して死ぬのか。クソを蒔くことに恥じらいはないのか。
陰(ほと)は製鉄、あるいは製鉄に不可欠なエネルギーを指すと言う話があるけれど、それにしても女の受ける被害が生半なものではない。仕事道具で股を怪我して死ぬのは嫌な死因トップ5に入るでしょ。せめて自宅か病院で死なせてくれ。
そしてこの後アマテラスはかの有名な「天の岩戸」に籠る訳ですが、それを引っ張り出す役目を負った神々のうちの一人、天宇受売命(アメノウズメ)が使ったのも「ほと」。
天宇受売命、天の香山の天の日影を手次に繋げて、天の眞折を鬘として、天の香山の小竹葉を手草に結ひて、天の岩屋戸に槽伏せて踏み轟こし、神懸りして、胸乳をかき出で裳緒を陰に押し垂れき。ここに高天の原動みて、八百萬の神共に嗤ひき。(p.40-41)
アメノウズメは天の香具山の草やこけで自分を飾ると、天の岩戸の前に桶を伏せてその上に乗り、神がかりした人のようになって、胸を出してスカートの紐を性器に入れて垂らした。それで高天原はどよっとなって、やおよろずの神が一緒になって笑った。
ざっくり訳すとこんな感じになるが、しかしどうにもひどい。と言うか、かなり突き抜けた宴会芸だ。どこで思いつくのかも分からなくてすごい。八世紀のtiktokで流行ってたのだろうか。識者がいたら教えて欲しい。
古事記を読んでいると、このようにかなり突き抜けた記述がいくつもいくつも出てくる。そしてそれが、平然とした顔で書かれてある。どうだ、すごいでしょう、と言うのではなく。静かに推しに狂ったオタクが面白いのに似ているだろうか。神話の魅力の一つである。
それにしても、イザナミはほとを火傷して死に、アマテラスは部下がほとを怪我して引きこもり、引きこもった上司の気をひくためにアメノウズメはほとから紐を垂らして騒ぐ。
これが日本の始めの30ページのうちに起こったことだと考えると、女というのは大変だ。万能、というと語弊があるが、とにかくエネルギッシュで多才である。ほとを活かし乳を出し、果ては胎に再生能力を期待される。むちゃくちゃではないか。
むちゃくちゃなのは神代だけにしてほしいものだ。
↑良かったら押してください。