β次元日記

α次元にはいけない。せめてフィクションの話をしよう。

頭の形を見てくれるんですか?!

 

 先日人生で初めて東京の美容院に行ったのだが興奮の連続だった。私がサンドの富澤なら美容院だけでネタを五本作っただろうという気持ち。ちゃんとした美容院に行っている人には共感されにくいだろうが、とにかく目が開きっぱなし、鼻息荒れっぱなしで髪を切られていた。

 

 というのも、これまで通っていた地元のチェーンの美容院は何かと雑な店だった。雑というより、予想した反応とは違うものが返ってくることが多かったのだ。

 例えば受付に「予約した〇〇ですが」と言うと一瞬ポカンとして「それが何か…?」と言う顔をし、無言で背後を取った後に「上着お預かりします」と言う。

 それぐらいならまだいいのだが、他にも「ちくっとしますからね」と言うや否やバリカンを取り出して襟足を剃る、という遠慮ゼロの技を頻繁にやった。そういう店に長いこと通っていた。

 

 しかし一番腑に落ちなかったのは「頭の形で似合う髪型が変わるって聞いたんですが、もし本当なら見てもらっていいですか?」と言った時の「はあ……」だった。

 

 ある時に頭蓋骨の形によって似合う髪型は違うという記事を見て、自分としては道理だなあと思って言ってみたのだが、小首を傾げながらの「はあ……」には流石に一気に自信がなくなってしまった。

 何しろ美容師の表情は「鍋を見ていてと言われて本当に噴きこぼれる鍋をただ見ている人」の顔だった。焦りもなく嘲りもなく、圧倒的なポカン顔。

 知識が間違っているなら訂正してくれればいいし、既に見ているなら「分かりました!」でも何でも言ってくれればいい。しかしどう考えても「はあ……」はないだろう。しかも小首を傾げてだ。髪を切るのに歯を見てくれと言ったわけでもない。何を不思議がっているんだ。

 

 しかし私は美容の門外漢だ。プロにとって頭の形と髪型の関係は、髪と歯、本とUSB、ワンパンマンと天丼まんほど遠いものなのかもしれない。小首を傾げられてからの数年、そう自分に言い聞かせて来た。

 

 しかし抑圧された欲望は否が応でも高まってしまう。夢の象徴を全部性器にすり替える技でお馴染み、フロイトおじさんもそう言っていた。

そう、自分でも気づかないうちに、頭の形を見て欲しい気持ちは限界に達していたのだ。(こう言うと下ネタみたいですね)

 

 だからこそ

   「それじゃあシャンプーしながら頭の形見ていきますねー」

 と言われた時の興奮は凄まじかった。

 

 一瞬言葉と意味が結びつかず、アタマ ノ、カタチ……?と壊れかけのアンドロイドになったが、すぐに自我を取り戻してこう叫んだ。

 

 頭の形を見てもらえるんですか?!

 

 美容師のお姉さんに抱きついて感謝の辞を述べ賞状を授与。脳内はフィーバー。サンバを踊り血湧き肉踊り頭を振りながら華麗なステップ。

 以上は勿論頭の中の出来事だ。BIGなLOVEをリアルでも表現しかけたが、流石に訳が分からないのでやめた。

 まさか向こうも頭の形を見られて興奮しているとは思うまい。

 

 

 思えば入店時から最高の予感はあった。無言で背後に立たれないし、予約の名前を言ってもポカンとしない。今までのちょっとした違和感が全て溶けていく。餅を硬いまま食べていた人間が「茹でたり焼いたりしますか?」と言われたぐらいのカルチャーショックだった。

 とにもかくにも数年ぶりの悲願が叶ったのだ。これは大きい。頭の形は髪型に関係があった。自信を持って良かったのだ。その事実だけでも自分を少し好きになれそう。

 美容院は辛くないし東京はすごい。つくづくそう思いながらシャンプーをしてもらい、席に戻る。髪を乾かしてもらう。地肌が痛くない! 感動だった。

 しばらく切ってもらっていると、美容師のお姉さんが鏡を持って来て後ろ髪を見せてくれた。そしてにこやかに口を開く。

 

「もしバリカン使って良ければ、もう少し短く出来ますけど。どうしますか?」

 

 バリカン使うか聞いてくれるんですか!

 最高すぎて固まってしまった。鏡を見ると間抜けなポカン顔。人は虚を衝かれるとポカン顔になるんですね。

 

 

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和牛と温死体の盛り合わせ

 

M–1を観た。

全コンビむちゃくちゃ笑えて熱くて(審査員にまつわる騒動はアレとして)最高だったが、今年の和牛には優勝して欲しかった。確かにジャルジャルは小学五年生だった。霜降り明星もめちゃくちゃ受けていた。だが今年は和牛だったんじゃないのか。

お笑いマニアではないのでデカイことは言えないが、個人的には1本目と2本目のネタが逆であればもしかして……とは思った。去年までのお互いを罵倒するタイプのネタより何倍も面白かったし。

これまで性格の悪いネタを作る小太りとして混同していたとろサーモンの久保田と和牛の水田だが、これでようやく区別がつくようになった。より顔がつるんとして相方が好きで料理が上手いのが水田ですね。

 

1本目の「相方がゾンビになった時に殺せるかどうか」は最高だった。最初の「殺す殺す」の応酬からヒヤリと始まって、次第に白熱する怒涛のボケ。どうなったらゾンビかと言う世界観を説明なしで理解させたのは流石の腕だ。

殺してくれと言う賢志郎。いなして夕飯を作る水田。ゾンビ化を追い越される賢志郎。まんがタイムきららの新連載かと思った。

 

そしてとにかくゾンビだ。オタクは闘争を求めると同時にゾンビを求めている。

もっと言えば、死者と生者の間に生まれる尊い関係性を渇望している。

ゾンビの群れに大事な人を見つけて顔を歪める推しが見たい。ゾンビに感染した受けを自宅に匿う攻めが見たい。自分の葬式に出たい。墓の前で泣いてほしい。

死後に関する欲望は数限りなく、それらを全て叶えてくれる最高の舞台装置がゾンビなのだ。

 

そして和牛によってエモゾンビ欲が掻き立てられてしまった皆さんにおすすめなのがこの映画。

 


映画『ウォーム・ボディーズ』オリジナル予告編

 

ジョナサン・レヴィン監督の「ウォームボディーズ」だ。

ゾンビ映画と聞いて、きっと皆さんの心のお母さんは「やだ、なんか怖そうじゃない? お母さんそういう気持ち悪いの苦手!」と言って近寄るゾンビを切って捨てたことだろう。

だがちょっと聞いて欲しい。これは非常に心温まるゾンビ映画なのだ。「ウォームボディーズ」よりかは「ウォームハーツ」。というのもこの映画は、ゾンビの男と生身の女が恋に落ち、その愛で全てのゾンビと人類を救うという超弩級のラブストーリーなのだ。

基本的には氷がゾンビウイルスに変換されたアナ雪と考えてもらって差し支えない。

 

 

あらすじとしてはこうだ。

ある日ゾンビが大発生し、人類の生存領域が大きく狭められた世界。

主人公は空港をうろつく元気な青年ゾンビ、R。他ゾンビと同じくうめき声を上げる彼だが、一つだけ他のゾンビと違うところがある。それは「意識」が残っていること。

彼には記憶も健康もないが思考だけが残っており、取り残されたジェット機を私物化したり、レコードをかけたりする。死後を満喫しているロハスなゾンビだ。

 

そんなある日、Rはゾンビ仲間と連れ立って空港の外に出る。連れションか?と思うがそうではない。お腹が空いたので人間を食べに行くのだ。

 そう、「ゾンビ映画」と「ラブストーリー」を両立させているのがこの映画の魅力でもある。「人の脳を食う腐った彼ピ」が見られるのは恐らくこの映画でだけだろう。

 

時を同じくして、とある薬品を手に入れるために人類の壁外調査隊が出発。

そして当然ゾンビ一行とご対面。この辺は臓物など出たりするのでお母さんをトイレに行かせた方が賢明かもしれない。

戦闘の最中、Rは調査隊にいた女子に一目惚れをする。そしてゾンビに囲まれピンチの彼女を「僕が守らなきゃ!」と盛り上がって空港に連れて帰るのだ。

ゾンビの巣窟に自分を誘拐したゾンビ。第一印象は最悪だ。が、共同生活をするうち距離は縮まり愛情が生まれる。その後Rがロミジュリばりに人類エリアに忍び込んだり親御さんにご挨拶したり色々あって、最終的には愛が世界を闘争から救う。

 

つい説明しすぎてしまったが、とにかく最高なのでゾンビが苦手な方にも見て欲しい一本だ。

 異類婚姻譚、奥手男子×強気女子、化粧したらイケメンなRなどオタク的に大変美味しいのは勿論のこと「ゾンビでも愛される!ゾンビでも変われる!ゾンビになっても救われる道がある!」と力強く頷いてくれるこの作品は、私たちの日常にも大きな愛と勇気を与えてくれる。

ゾンビと人間。その途方もない断絶と孤独は、現代の断絶にも似ていると言っては言い過ぎだろうか。人間が全ての他者を尊敬出来るともすべきとも思わないが、しかしそれが、断絶された向こう岸に火を放っていい理由にはならない。火だるまにされると人間はすごい疲れるし黒焦げになる。

しかし「ウォームボディーズ」では、現実にあっては見られない、断絶の深い谷に橋をかけた美しい野放図を見ることが出来る。その光景はきっと人を癒すだろう。

 

ギャロップのツッコミに似たハゲ方をしているゾンビのおっさんも、娘がゾンビの彼氏を連れてきて死ぬほど怒るお父さんも、腐りすぎて骸骨になったゾンビ(極)も、みんな愛によって孤独から救われる。ならば生者はなおさらだ。

 

愛と勇気だけが友達だなどと謙虚になっている場合ではない。「ウォームボディーズ」を観たその日から、愛と勇気と全ての生と死があなたの味方になるのだ。

 

 

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感情由来成分の鼻血

 

夜中にふと目が覚めて、なんでだろと思うより前に理由が分かったのでティッシュ箱を掴んで洗面所にダッシュ

 鏡を見るとおびただしい血が手の隙間から漏れていて、午前4時の光景としては最悪だった。

 鼻血それ自体は昔からよく出ていたので慣れている。幾度か鼻をかむと止まったので、手の血を拭い、顔を洗った。ただでさえ血祭りなのに鼻からもとなると笑えない。

上からも下からも血が出る女。寺山修司にありそうだ。

 

鼻血の理由として思い当たることはある。 寝る直前まで興奮して映画を観ていた。

「ムーンライト」だ。


アカデミー賞候補作!『ムーンライト』本国予告編

気軽に観たのは大きな間違いだった。

最高に辛い良い映画だ。とは言っても「ダンサーインザダーク」のような「鬱」の辛さではない。人生の悲哀、皮肉に類するものだ。映画に村を焼かれた。

 

ゲイで黒人男性の主人公、シャロンの成長を通して描かれる、マイノリティーとして生きていくということの息苦しさから目を離せなくなる。

芥川の「地獄変」で、愛娘を乗せた牛車が燃えていくのに魅入られた絵師と同じような残酷さ。

 

あらすじとしてはこうだ。

アメリカでも特に治安の悪い地区に、シャロンという小学生の男の子が住んでいる。彼の母親は売春婦かつヤク中、ついでに情緒不安定というストレートフラッシュみたいな女性だ。そのせいでシャロンは学校でいじめられており、放課後は毎日いじめっ子たちから逃げ回っている。

 

ある日、いつもの通り追われていたシャロンはフアンという男性に助けられ、ご飯を奢ってもらう。フアンはムキムキの黒人男性で、歯に金の被せ物をしているという治安が悪い地区の看板のような見た目の男だが、根はめちゃくちゃ優しい。ご飯を奢りベッドも貸してあげたのに自分をガン無視するシャロンに全く怒らない。いいやつだ。因みに仕事はヤクの売人をしている。保育園の先生であってくれ。しかし環境がそれを許さなかったために彼はヤクを売っている。

父親のいないシャロンにとって、フアンは親身になってくれる初めての大人の男だった。最初は心を開かなかったシャロンだが、彼の家や海へ遊びに連れて行ってもらううちに、信頼していくようになる。

しかしこの時点で、シャロンはフアンの仕事をしらない。

 

ある晩、フアンは自分の仕事場に行って、そこでルールを守っていない客を発見し、注意しにいく。そこにいた客とは、シャロンの母だった。彼女は自分の客と一緒に車内でマリファナを吸っていた。

自分が売った薬で、シャロンが苦しめられている。真実を知ったフアンはひどく狼狽する。母親はフアンに「被害者ぶるな」と言うように苛立ち、その勢いのままシャロンにフアンの仕事を話してしまう。(助けてくれ!!!!)

翌朝、シャロンはフアンの家に行き、事の真相を確かめる。フアンは苦しそうに頷き、シャロンは失望して去っていく。 第一部完。

 

これだけでも一本の映画になりそうなものだが、映画は第二部、第三部と続いていく。シャロンが高校生になって親友に恋をしたり、ムキムキになって金のマウスピースをはめたりするが、とにかくそこには「人生のままならなさ」がこれでもかと詰まっている。

好きな人が自分と同質の好意を返してくれないこと。

信頼を裏切られること。

憎んでいたものと同じになってしまうこと。

 

観る者はいくつかの場面で「助けてくれ!!!!」と叫ぶことになるだろう。

シャロンをこの人生から助けてくれ!締め付けられるこの胸の苦しみから助けてくれ!

 

しかしそれは「映画を見なければ良かった」という嘆きとは無縁のものだ。

シャロンが、悲しみに満ちた自分の人生をそれでもどうにか生きていく。

その足取りが私たちに勇気をくれるのだ。その勇気が、いつか「助けてくれ!!」と言いたくなるような悲しみに直面した時、その先へと進ませてくれるのではないだろうか。

 

もし、興味があるならみなさんもムーンライトを観て、シャロンの人生に心臓を鷲掴みにされてほしい。「助けてくれ!」と嗚咽しながら、観終わった時には元気になっているだろうから。

私もいつか十連勤の後にへそから血が出た時のために、もう一周しておこうかと思う。

 

 

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見間違えと皇居ランナー

 

神楽坂のかもめブックスに行った。久しぶりに行ったが、いつ行っても「当たり」の本ばかり置いてあって楽しい。

良い本屋は遠くても訪れる頻度が低くても身近に感じる。

(近所の雑貨屋には週刊誌しか置いていないので、私にとってはサハラ砂漠よりも遠い。)

 

 ただ、何ヶ月か前に来た時には置いてあった薄青色の釉薬カップが売れて無くなっていたのは寂しかった。

 

目の前にある時にはどれだけ欲しいものでも買わない理由を探してしまうのに、いざなくなると「たった〇〇円であの素晴らしいものが買えたのに」と口惜しく思う。この変わり身のメカニズムが不思議だ。

次にそういう、生活を長く素敵にしてくれそうなものを見つけた時には是非買おう、と決心するのだが、結局同じことを繰り返す。成長しない生き物ということなのか。

 

歩きたい気分だったので、神楽坂から東京駅まで歩いた。土地勘がなく、ちょっと散歩のつもりでいたら8kmぐらいあった。Googleマップがなかったらミッドナイトトーキョーで遭難していた自信がある。が、持っていたので助かった。

日が暮れた後、神楽坂から飯田橋を通って武道館の近くに出、そこから皇居の淵をぐるりと回る形で東京駅に向かった。

 

驚いたのは、竹橋に近づいた辺りで急にジョギングしている人間が増えたことだ。

水牛の群れかと思ったら汗くさい人間。東京ではそういうこともある。

 

数年前に「皇居ランナー」が増加中だというニュースは見ていたが、なぜだろう、嘘だと思っていた。自分が皇居ランナーとはまるで遠い人間だからだろうか。

 

スポーツウェアルックの老若男女に歩道を取られ、植木に半分埋まりながら歩いた。バグったRPGかよ。あそこはもう皇居ランナーの領土というべきだろう。

 

それからお堀の周りを歩いていて面白かったのは、水面のハスの葉を大勢の鳥と見間違えたことだ。

ケーンだのピャーッだのの鳥の声を聞きながら風に揺れる葉を見たので、羽を動かしつつ休んでいる鴨か何かに見えたのだった。

 

失われた時を求めて」の中に、街に建物のずらずら並んでいるのが水上に浮かぶ船の様に見えた、というような箇所があって、それと同じ様なことではないかと思う。

 

走るのは嫌いだが、歩くのは面白い。

皇居ウォーカーというのがあればやってみたいような気持ちがする。

と書いてみてから気付きましたが、それはただの散策ですね。

 

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奴隷の服を纏いて立てり

 

就活の時、あの真っ黒い就活スーツを着るのがものすごく嫌だった。

面接に行って知らないおっさんに質問されるのも勿論嫌なのだが、本当に何より辛かったのは、就活スーツを着て街中を歩くことだった。

就活が長引くにつれその思いはどんどん強くなっていき、今では憎悪していると言ってもいい。

 

昔は今の様なセオリーは無かったというからどこかに「就活するなら真っ黒でなきゃ!」と決めたおっさんがいるわけだ。家を見つけた暁には、壁を黒く塗りつぶして光の吸収率を増やして夏のエアコン代をめちゃくちゃにしてやろうと思う。

 

就活スーツがダサいのはデザインに限った話ではない。就活スーツは奴隷の服だ。

服装はしばしば帰属を表す。サッカー選手のユニフォーム然り、高校生の制服然り。

それと同じく就活スーツは求職者の制服というわけだが、それはつまり「人に必要とされたがっていて」「社会人としてビギナー」であると表明することではないか。

 

 

普通、人は自分の立場を曝け出しては出歩かない。

何かSF的な事故で、人の抱えている問題が赤いタトゥーとなって肉体に現れるようになったら大変だ。

解雇寸前の社員の首に切り取り線が出たら発狂モノだし、余命3ヶ月のカウントダウンが額に出たら気遣いのオンパレード。不倫中の男の頰にペニスのマークでも出た日にはどうなることか。紋が身体に出るのはサキュバスだけにするべきだと言うことがよく分かる。

 

なのに就活生と来たら、自分が不安定な立場にあること、雇われたがっていることなど、全て周りに知らせてしまう訳である。同じ小さな胚だった人間のうちのある個体を奴隷にするのは服と鎖と焼き印だ。

「低い低いと思って高いのはプライドと血圧ですな」とは某博多芸人の言だが、それはとにかくその通りで、私も自信はないがプライドは微妙に高い。だから就活スーツを着るのが我慢ならない。「雇われたくて仕方ないんですよ、内定もないし」とか思ってると思われたくないのだ。

 

とは言っても別に世の中の人間はいち就活生などに興味はないことは分かっている。自分の気持ちの問題なのだ。でもそういうことってあるでしょうが。

世界で一番可愛い大どろぼうだってどろぼう大好き錦田さんだって、勝負の日には赤いパンツを履いている。

それを鑑みて就活スーツの下にめちゃくちゃ際どい下着を着けていったら気分は違うだろうか。

本人だけはサンバカーニバル。電車の乗降する客を眺めながら、ブラジルの人混みを想う。遠くから聴こえてくるサンバのリズムに身を任せ、華麗なステップでコンクリートを蹴りつけるうちに御社に到着。

 

緊張しなくていいかも知れない。最も、外見は変わらないのだけれど。

 

 

 

雑記

 

・電車で隣に座ったおっさんが体重をこちらに預けて爆睡。めちゃくちゃ重たいし、接触部が湿気ている。沼にでも行って来た帰り?

 

・偉い人がクラスに就任の挨拶に来た。諸々の不祥事の謝罪も兼ねていたのだが、謝罪文を述べた後速攻で帰ろうとしていた。謝意ゼロが露見した後、不祥事への対応について幾つか質問をしたら拗ねていた。そんな奴が謝罪に来るのはやめた方がいい。

 

・前々回のエントリで書いた通り、食用でないどころか毒性のある花を食べた。

犬などの死亡例有り、とのことだったのでちょっと心配だったが、心持ち腹が緩くなっただけで終わった。人に心配して貰って有難さと申し訳なさ。ロマンチックで見切り発車をすると危険だという事が分かった。その点ロミジュリはすごい。最後までロマンたっぷりだもんな。

 

 

 

ブログに書くことでもないのですが、今日、枯れた花を片付けていて、なんとなく食べてしまいました。

 

後から調べたら、毒性のある花だと分かりまして。

 

いま、不整脈と腹痛が来たのでどきどきしています。

(動物には神経麻痺や死、ヒトには下痢をもたらす毒性らしい)

(不整脈はもとから)

(ヒトにはそんなに効かないらしい)

 

 

みなさんは、花を口に入れたくなった時にはネットで毒性の有り無しを確かめてからにしてくださいね。

 

さらば。