見間違えと皇居ランナー
神楽坂のかもめブックスに行った。久しぶりに行ったが、いつ行っても「当たり」の本ばかり置いてあって楽しい。
良い本屋は遠くても訪れる頻度が低くても身近に感じる。
(近所の雑貨屋には週刊誌しか置いていないので、私にとってはサハラ砂漠よりも遠い。)
ただ、何ヶ月か前に来た時には置いてあった薄青色の釉薬のカップが売れて無くなっていたのは寂しかった。
目の前にある時にはどれだけ欲しいものでも買わない理由を探してしまうのに、いざなくなると「たった〇〇円であの素晴らしいものが買えたのに」と口惜しく思う。この変わり身のメカニズムが不思議だ。
次にそういう、生活を長く素敵にしてくれそうなものを見つけた時には是非買おう、と決心するのだが、結局同じことを繰り返す。成長しない生き物ということなのか。
歩きたい気分だったので、神楽坂から東京駅まで歩いた。土地勘がなく、ちょっと散歩のつもりでいたら8kmぐらいあった。Googleマップがなかったらミッドナイトトーキョーで遭難していた自信がある。が、持っていたので助かった。
日が暮れた後、神楽坂から飯田橋を通って武道館の近くに出、そこから皇居の淵をぐるりと回る形で東京駅に向かった。
驚いたのは、竹橋に近づいた辺りで急にジョギングしている人間が増えたことだ。
水牛の群れかと思ったら汗くさい人間。東京ではそういうこともある。
数年前に「皇居ランナー」が増加中だというニュースは見ていたが、なぜだろう、嘘だと思っていた。自分が皇居ランナーとはまるで遠い人間だからだろうか。
スポーツウェアルックの老若男女に歩道を取られ、植木に半分埋まりながら歩いた。バグったRPGかよ。あそこはもう皇居ランナーの領土というべきだろう。
それからお堀の周りを歩いていて面白かったのは、水面のハスの葉を大勢の鳥と見間違えたことだ。
ケーンだのピャーッだのの鳥の声を聞きながら風に揺れる葉を見たので、羽を動かしつつ休んでいる鴨か何かに見えたのだった。
「失われた時を求めて」の中に、街に建物のずらずら並んでいるのが水上に浮かぶ船の様に見えた、というような箇所があって、それと同じ様なことではないかと思う。
走るのは嫌いだが、歩くのは面白い。
皇居ウォーカーというのがあればやってみたいような気持ちがする。
と書いてみてから気付きましたが、それはただの散策ですね。
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