奴隷の服を纏いて立てり
就活の時、あの真っ黒い就活スーツを着るのがものすごく嫌だった。
面接に行って知らないおっさんに質問されるのも勿論嫌なのだが、本当に何より辛かったのは、就活スーツを着て街中を歩くことだった。
就活が長引くにつれその思いはどんどん強くなっていき、今では憎悪していると言ってもいい。
昔は今の様なセオリーは無かったというからどこかに「就活するなら真っ黒でなきゃ!」と決めたおっさんがいるわけだ。家を見つけた暁には、壁を黒く塗りつぶして光の吸収率を増やして夏のエアコン代をめちゃくちゃにしてやろうと思う。
就活スーツがダサいのはデザインに限った話ではない。就活スーツは奴隷の服だ。
服装はしばしば帰属を表す。サッカー選手のユニフォーム然り、高校生の制服然り。
それと同じく就活スーツは求職者の制服というわけだが、それはつまり「人に必要とされたがっていて」「社会人としてビギナー」であると表明することではないか。
普通、人は自分の立場を曝け出しては出歩かない。
何かSF的な事故で、人の抱えている問題が赤いタトゥーとなって肉体に現れるようになったら大変だ。
解雇寸前の社員の首に切り取り線が出たら発狂モノだし、余命3ヶ月のカウントダウンが額に出たら気遣いのオンパレード。不倫中の男の頰にペニスのマークでも出た日にはどうなることか。紋が身体に出るのはサキュバスだけにするべきだと言うことがよく分かる。
なのに就活生と来たら、自分が不安定な立場にあること、雇われたがっていることなど、全て周りに知らせてしまう訳である。同じ小さな胚だった人間のうちのある個体を奴隷にするのは服と鎖と焼き印だ。
「低い低いと思って高いのはプライドと血圧ですな」とは某博多芸人の言だが、それはとにかくその通りで、私も自信はないがプライドは微妙に高い。だから就活スーツを着るのが我慢ならない。「雇われたくて仕方ないんですよ、内定もないし」とか思ってると思われたくないのだ。
とは言っても別に世の中の人間はいち就活生などに興味はないことは分かっている。自分の気持ちの問題なのだ。でもそういうことってあるでしょうが。
世界で一番可愛い大どろぼうだってどろぼう大好き錦田さんだって、勝負の日には赤いパンツを履いている。
それを鑑みて就活スーツの下にめちゃくちゃ際どい下着を着けていったら気分は違うだろうか。
本人だけはサンバカーニバル。電車の乗降する客を眺めながら、ブラジルの人混みを想う。遠くから聴こえてくるサンバのリズムに身を任せ、華麗なステップでコンクリートを蹴りつけるうちに御社に到着。
緊張しなくていいかも知れない。最も、外見は変わらないのだけれど。