β次元日記

α次元にはいけない。せめてフィクションの話をしよう。

IBMおじさん

こんばんは。クロワッサンです。

 

Twitterでここ最近、#フォロワーさんがすごく雑に引用RTで褒めてくれる   みたいなハッシュタグが流行っている。ご存知ですか。

私はあれを目にする度、見ず知らずのおじさんに雑に励まされた、何年か前の体験を思い出します。

 

六本木ヒルズの横にはDesign21_21という美術館がある。デザインとか現代作家の特別展をよく開催していて、建物自体も特徴的な造形なのだが、とにかくその周りには芝生が敷いてあって、ちょっとした公園のようになっている。
IBMおじさんはその公園の隅っこのベンチに座っていた。

美術館を見終わって六本木駅に向かう途中だった私は、外国人のおじさんがチラチラとこちらを見てくるのに気づいた。
普段だったら通り過ぎるところだが、その前日のことがあって私はおじさんに近づいていった。

というのも前日、私はアメリカ人夫婦に川崎から蒲田までどう行けばいいか説明出来なかったことに挫折感を味わっていた。

東海道線の車内で「蒲田まで行くにはこの電車でいいのか」と聞かれた。川崎駅を出たばかりだった。
東海道線だ。通り過ぎる。ごりごりに通過する。いったん品川で降りて、京浜東北線に乗り換えてくれ、と言おうとして、しかし全然英語が出てこなかった。京浜東北って英語でなに? 京からして不明。乗り換え、の動詞すら分からなかった。だのに、私が手に持っていたのは英単語帳。とんだピエロだ。

ということがあった後だったから、私は困り顔のおじさんに近づいて言った。
「May I help you?」
ベテランジャズシンガーみたいな見た目のおじさんは言った。
「大丈夫、ありがとう」
日本語だった。この世でもっとも恥ずかしいのは、英語で話しかけて日本語で返されること。多分。絶対そう。
すぐにその場を逃げ出したかったが、おじさんは自分の座っているベンチを叩いて、私を会話に誘った。
彼はIBMに勤めている、と言った。
会社が直ぐそこで、たまに散歩にくるんだよね、と、英語で言った。
いま英語で話すんなら、ぜひとも最初の返答を英語にしてほしかった。

 

ところどころ聞き取れない箇所がありつつも、おじさんは自分の来歴を語った。
サンフランシスコに家族を残して来たこと。
IBMとして警察に強力していること。
名前はボブかサップかサンコンかポール。
パ行かサ行が入っていたことしか分からないのだ。要するに何も覚えていない。
名刺も見せてくれたが、私はその間、全く安心出来ないまま、空返事を返していた。

目的が分からない人間ほど怖いものはない。
なんなんだ。帰りたい。名刺も見せてもらったけど、名刺ケースからとかでなくて、ファイリングされたぼろぼろの名刺だった。
他人の名刺としか思えない。


映画の『96時間』を観た後だったから、恐怖もひとしおだった。些細な会話から家を特定され拉致されて、96時間で死ぬ妄想さえ一瞬した。父さんがリーアム・ニーソンジェイソン・ステイサムだったらまだ可能性はあったのに。

 

が、その不安に反して、IBMおじさんは私に何も聞かなかった。私が相槌を打つ機械になってから、30分もしただろうか。


おじさんの話に一区切りがついた。

その瞬間を見計らって、私は「もう帰らなければ」と言った。

おじさんは名残惜しそうな顔をして、しかしそれから握手のために手を差し出した。
おずおずと私が手を握ると、おじさんは強く手を握り返し、そして離さないまま、こう言った。


「この国は生きづらい国だけど、家族と国と、音楽を大事に、力強く生きていけよ!」

 

急な励まし。おじさんの目的はもしかして私を励ますことだったのか。
まさかそんな。しかしおじさんは「強く生きろ」と繰り返し繰り返し言い含めてくる。

 

私、そんなに辛そうな顔して歩いてました?
思わず聞きたくなる。
でもここ東尋坊じゃなくて六本木ですよ。
私だいぶ上機嫌で歩いてましたけど、実は表情筋死んで見えるんですか?


困惑をよそに、おじさんはまだ言ってくる。
どうやら私の返事の困惑を生気の無さと捉えたのか、私が強い返事をするまで頑張るつもりらしい。
「強く生きてね!」
繰り返される励まし。周りのベンチからの視線。おじさんもう諦めてくれ。日も暮れて来たし。
「はい!」

強めの返事。

おじさんもにこっと微笑んだ。

これは活力も伝わったに違いない。


いけるか。

しばし沈黙。

……

……

……

「強く生きてね!!」
だめなんかい。祈り通じず。ならばこちらが折れるしかない。

「強く生きてね!!!」

「はい!!」

「強く生きてね!!!」

「はい!!!」

「強く生きてね!!!!!!」
「はい!!!!!」

おしゃれタウン六本木の真ん中で体育会みたいなバカ返事をしたということがもう既に強く生きる気力を失わせた。

 

気になることはめちゃくちゃにあったが、それを突っ込むと更に長くなりそうだったので、私はIBMおじさんに別れを告げて、六本木の駅へと歩いた。

 

帰りの電車の中で、六本木のIBMを調べた。
Googleによれば、数年前に移転していた。

もうなにもかも分からない。
IBMおじさん、お元気ですか?


以上です。おやすみなさい。